都民塾

都民塾だより No.101

 都民塾(名誉塾長 故立石晴康元東京都議、代表世話人 野口和久)は、昨年6月以来休止していたが令和6年2月21日(水)午後6時半から101回目が東京・中央区の築地本願寺2階講堂で復活。塾生の「再開してほしい」という声が背中を押した。

 この日は、能楽「一噌流」笛方の一噌幸弘先生を講師に招き、「モーツァルトと小学生唱歌の意外な共通点」をテーマに開かれた。

 一噌先生は、安土桃山時代から続く能楽「一噌流」笛方十五代目にあたる。今回は、明るい長音、判りやすさ、キレイな旋律といったモーツァルトと小学生唱歌の共通点に焦点を当て、幼い頃に 慣れ親しんだ小学生唱歌などを奏でながら日本人は何故モーツァルトが好きなのかに迫った。

 最初に能楽の代表作である石橋(しゃっきょう)の『獅子』を能管で披露。本日のテーマに沿ってピアノで『蛍の光』(スコットランド民謡)、『ちょうちょう』(ドイツ民謡)を演奏。こうした輸入の唱歌でなく、日本人が作った『春が来た』、『我は海の子』を続けた。このあと、瀧廉太郎の『花』とモーツァルトの『ホルン協奏曲 第1番ニ長調』をピアノと角笛で演奏。「西洋音楽の3要素はリズム、メロディー、ハーモニーですが、この2曲のすべて、この3要素がそっくりです」とコメント。

 続けて、瀧廉太郎の『箱根八里』とモーツァルトの『ピアノ協奏曲 第8番ハ長調 K.245 <リュッツォー>より第1楽章』と『オペラ<魔笛>K.620 より-恋人か恋女房があればいいが』を演奏。「この 曲はリズム構成が似ています。瀧廉太郎は、当時ヨーロッパで主流だったモーツァルトを代表とする古典派の音楽の影響を受けて作曲しているということなのです」

 瀧廉太郎と同じようにモーツァルトの影響を受けた作曲家、山田耕作の『この道』を披露。「近代化を推し進めていた日本は、西洋の音楽を積極的に取り入れ、近代国家の体裁を整えようと努力をしていたのです」

 「こうした流れは現在の日本にも脈々と受け継がれています」と、『ペチカ』(北原白秋作詞)、『上を向いて歩こう』、『SWEET MEMORIES』を披露。都はるみの『北の宿から』とショパンの『ピアノ協奏曲 第1番 より第1楽章』を演奏、「2つの曲は、最初の部分がほぼ同じです」。

 さらに、中村八大の『世界の国からこんにちは』とモーツァルトの『3台のピアノのための協奏曲 第7番ヘ長調『ロドロン』より第1楽章』と『オペラ『フィガロの結婚』K.492 より-もう飛ぶまいぞこの蝶々』をソプラニーノ・リコーダーで演奏。「これらの曲も西洋音楽の3要素が似ていることから曲調が似ています」

 最後に、一噌先生オリジナルの『オーロラのごとく』と『深山』を愛弟子の宮川悦子さんとともに能管、ギター、ピアノで演奏。今回のテーマの背景には、明治新政府が音楽授業を義務化し、全国的に西洋音楽の普及を図ったことや滝廉太郎、山田耕筰ら日本の作曲家の留学先が「古典派音楽」隆盛の時代だったことがあげられる。それを、能管、篠笛、角笛、ピアノ、ギターなどの楽器を演奏するとによって実証的に証明できたのではないだろうか。

 なお、冒頭、山田耕筰が、かつて中央区明石町にあった築地外国人居留地に住んでいた関係から同居留地研究会理事らから築地外国人居留地の概要の説明があった。

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